<北原美希・感動ヒストリー>

〜人力車との出会いから  すべては始まった〜

北原美希と相棒・人力車の【感動の軌跡(奇跡)】を綴っています。

2013年7月1日伊勢へ



2013年7月1日、和歌山市から伊勢に移住。

 

7月1日から夏休み前までのわずか10日ほど

娘の奏音(かのん)がお世話になった伊勢市立早修小学校。

感動!娘に乗せてもらう人力車

伊勢に移住して初めて人力車をひいた日、娘も私を乗せて人力車をひいた。

小学校4年、9歳の娘に乗せてもらう人力車は、それはもうなんとも言えない感動と喜びと嬉しさだった。
 

人力車の研修を受ける。

 

研修後、初めて現場に出て1番最初のお客様!

 

一人旅だったんだとか。

小学校で子供達と体験人力車。笑顔満開!

早修小学校最後の日、担任の先生と校長先生に話をして、お楽しみ授業で2時間の枠をとってもらいました。
  
運動場に出るまで、子供達は何の授業かは知らされていない。
運動場に出てきた子供達はみんな

「キャー!人力車や~!」とテンションMAX!

みんなで人力車と一緒に笑顔で集合写真!

最後の授業の日、その時住んでいた家でお楽しみ会を開いたら、クラスのうち半数の子供達がかけつけてくれ、娘はたくさんのお手紙やプレゼントをもらった。

わずか10日ほど共にしただけのお友達なのに

みんなホントに仲良くしてくれた。

別れるのが寂しいと感じるほどに、、、


「起き上がれない・・」

2013年7月20日前後、奈良県桜井市へ移住。

道やコースを覚えるのに2日間研修で走り回ったら、3日間トイレの時以外起き上がれず寝込んでしまった。

その時、とろろめし山和さんがすぐに食べられるお惣菜や雑炊、茶碗蒸しを作ってもってきてくれた。
 
  引っ越して間もない、まだ桜井に慣れない、友達もいない頃だったので、
「いつでも何でも遠慮なく言っておいで」と言ってくれたやまとさん、女将さんには本当に支えてもらった。

わたしの相棒

寝込んでから随分回復したものの

まだ人力車を引けるほどの体力が戻っていない頃。

しばらく相棒(人力車)に会っていなくて

車庫まで相棒に会いに行った時の写真。

 

娘と人力車で登校

夏休み明けからお世話になった桜井市立三輪小学校。

学校が始まって、人力車で送っていった登校のある日の1枚。

  

桜井へ移住してすぐの頃、事務所と小学校が近くにあったので、朝一緒に家を出て娘は学校へ。私は事務所へ行っていた。

 

学校が終わると娘は事務所に戻り、そこで宿題をして、私の仕事が終わるのを待ち、一緒に家まで車で帰るという生活。

2013年9月人力車出発式

2013年9月桜井市の市長を迎え、200名くらいの方が集まる中、人力車の出発式をした。

 

その時の様子を新聞に掲載していただきました。

 

脳梗塞発症「もう人力車は引けないよ」医師からの宣告

2013年10月9日

脳梗塞になり桜井市の済生会病院に入院。

3週間にわたる点滴治療が始まる。

 

済生会病院では、

「人力車はもうひけないよ。

それから心臓の治療をするまでは、カラオケ行って大きな声を出したり、いきんだり、心拍数をあげるような激しい運動はしないでください。

 

今回の脳梗塞は軽度で済んでたまたま後遺症も残らなかったけれど、最悪死亡、または麻痺が残るからね。」と、念を押される。

 

桜井市の病院で検査をした結果、

梗塞になった原因が生まれつき心臓に空いた穴が原因だと発覚。

 

脳梗塞の治療が終わったら、天理よろず病院へ転院し

そこで心臓の治療をするよう説明を受ける。

母との大喧嘩「私の人生は私が決める!」

母とは、済生会病院で大喧嘩をしてから、音信不通となっていた。

脳梗塞の治療中、ドクターが「人力車はもうひけないよ」

 

と言った為、私以外の家族全員揃っての家族会議で「お姉ちゃんを和歌山に連れ戻す」事を決めたと母が言った。

 

それを聞いた私は、病棟内で母と大喧嘩をした。

 

「なんで!?私の人生やのになんで勝手に連れて帰るとか決められないといけないん!?」

 

それ以降、母とはしばらく音信不通となる

たくさんの友人の支え

和歌山、大阪、愛知、、、

 

たくさんのお友達がお見舞いに来てくれた。

早く元氣になってねと、たくさんのプレゼント。

 

長く苦しい「引きこもり期間」

2013年10月中旬、済生会病院退院。

 

その後、天理よろず病院へ行くも、すぐの入院・治療とはならず、まずは通院して精密検査から始まった。

そこで心臓の治療について3つの選択肢を与えられる。

 

①昔ながらの外科手術

この手術は、天理よろず病院に在籍中のスタッフが担当できるため、すぐにでも手術できる。

メスで切って心臓の穴が開いた部分を直接縫合するため、傷跡は残るがこれまでの実績がたくさんある一般的な手術。

 

②薬を飲み続ける治療

心臓の穴を塞ぐ事はせず、血液サラサラにする薬を飲み続けることによって、完治はしないが脳梗塞になるリスクを減らす。

 

③カテーテルによる手術

太ももの付け根からカテーテルを入れて、心臓にあいた穴をチタンの医療器具で塞ぐ手術。

まだ日本でこの手術ができる医師が少なく、この手術を希望する場合、岡山県から経験のある医師に来ていただき、手術することになる。

臨床結果も少ないため、20年後、30年後はどうなるかというデータは出ていない。

カテーテルのため、傷跡は残らないし、外科手術に比べ比較的早く退院できる。

手術後、半年間は血液をサラサラにするお薬を飲む必要があるが、検査して問題なければ薬は飲まなくていい。

 

 

私は、済生会病院を退院した後、しばらく今後の事について、そして心臓の治療法について色々考えていた。

 

特にその頃、引き続き親とは絶縁状態で精神的にも不安定な時期。

誰にも会いたくない、出かけるのは近所のスーパーくらいといった感じで、俗に言う「引きこもり状態」だったと思う。

 

そんな中、ようやく与えられた選択肢の中、自分が望む治療法が決まる。    

 

③のカテーテルによる手術だ。

 

天理よろず病院の先生から、入院・手術のお知らせが来たのは2014年1月の事。

2月下旬に岡山県から先生が手術をするために来てくれることになったのだ。

 

その日を迎えるまでの自宅療養の約4カ月間は、本当に本当に長く感じた。

入院前。奈良県の磐城小学校で体験人力車

天理よろず病院へ入院する1週間前、奈良県葛城市の磐城小学校で人力車の授業をした。

 

体育館で、実際子供達に人力車に乗ってもらう体験と

子供達がお友達を乗せて人力車をひくという体験授業。

 

ドクターから激しい運動はダメと言われていたので、ゆっくり歩いてサポートさせてもらった。

天理よろず病院へ入院

その後、天理よろず病院へ入院。

登山感覚でリュックを背負って病室が6階だったので、「6合目へいってきまーす」と楽しむ様子。

 

天理よろず病院へ入院する際、娘と二人で行ったが「小さいお子さんを病院に泊めるわけにはいかない」と言われる。

二人暮らしなので、娘をみてもらえる人がいないと伝えると、特別に個室を用意してくれた。

 

しかし、手術後ICUに入ることになる。

ICUは中学生以下の子供は入れない事など聞いてなかったので知らなかった。

どうにもならない状況の中、桜井の「とろろめしやまと」さんに連絡し

手術の日一晩娘を泊めてもらうことに。

2014年2月27日 心臓手術。ICU治療室へ

10月に済生会病院を退院してから、自宅療養期間が長かったのも理由があった。

私が望んだカテーテルによる心臓の穴を塞ぐ手術は、まだ日本でその手術を出来る医師が少なく、岡山県から先生に来てもらっての手術だったからだ。

 

天理よろず病院から連絡があったのは2014年の年明け。入院日が2月26日。翌日27日が手術の日だった。

朝から手術室に入ってICUに入ったのが昼頃。

 

目覚めた時、麻酔で少し氣持ち悪かったのと、心臓に少し違和感があった。

なんというか、不整脈じゃないけれど、穴を塞ぐためにチタンの医療器具が埋め込まれたからだ。

きっと、心臓さんはびっくりしたんだと思う。

 

ずっとこのままの違和感なら、手術は失敗なんじゃないか!?と思ったが、数日もすれば落ち着いた。

ICU治療室で涙した子供達からのメッセージ。

手術した日、ICUで看護師さんが渡してくれたもの。

 

それは、1週間前人力車の授業をさせてもらった子供達からの感想文だった。

 

全身いろんなチューブに繋がれて動けない状態で、1枚1枚子供達からの感想文を読んでいく、、、

 

中には「将来俥夫になりたいです」って言葉もあり、私は一人ICUで号泣した。

 

coming soon...